羽地朝秀 (はねじちょうしゅう)
人物 - 政治家 - 按司
■王族の羽地御殿5世・朝泰の長男。
■唐名:呉象賢。名乗:重家。→呉象賢・羽地按司重家。
■琉球王国最初の歴史書「中山世鑑」の編纂を行なった。
■羽地間切の按司地頭を継いだが、1666~1673年、尚質王の摂政となり、数々の改革を行ない王国の経済を立て直した。
■那覇市首里平良町に「羽地朝秀の墓」がある。
尚徳王 (しょうとくおう)
人物 - 国王 -
■琉球国中山王。
■居城は首里城。
■在位:1460年~1469年。
■神号は八幡按司または世高王。
■尚泰久王の三男(側室・宮里阿護母志良礼の子)。
■1460年、父・尚泰久王の死去により妾腹だが長兄・金橋王子を退けて第一尚氏王統・7代目王に即位。
■マラッカとの交易を開始。
■1466年、自ら2000の兵を率いて喜界島へ遠征し領土を拡大。
■足利義政に使節団を派遣。
■朝鮮から方冊蔵経を贈られる。
■天界寺を創建。
■1469年、29歳で薨去。直後に金丸(後の尚円王)がクーデターを起こし、第一尚氏王統一族はことごとく殺害、追放され、第一尚氏王統は滅亡した。
■なお、尚徳王の崩御については、久高島で愛妾にうつつを抜かしているうちにクーデターが起き、漁師から金丸即位を聞き、憤って海に投身したとの説もある。
■第一尚氏王統最後の国王となった。