謝花昇 (じゃはなのぼる)
人物 - 政治運動家 -
■東風平生まれ。
■沖縄師範学校→1882年、第1回県費留学生として東京に学ぶ→学習院→帝国農科大学。
■沖縄県初の大学卒業者となる。
■この頃「自由民権運動」に影響を受け沖縄に帰郷。
■沖縄県職員となったが奈良原繁知事と杣山(そまやま)問題で対立。
■県庁を退職し、1899年、當山久三らと沖縄倶楽部を結成し「沖縄時論(おきなわじろん)」を出版。「県政批判、土地整理問題、参政権獲得」などで主に沖縄の農民の為に活動した。
■1908年、失意の中、没した。
長虹堤 (ちょうこうてい)
建造物 - 道路 -
■1451年、第一尚氏王統・5代目王・尚金福王により建築された堤道。
■明からの冊封使を迎え入れるため、浮島と呼ばれる小港・那覇を貿易港として整備し、那覇市松山付近にあった伊辺嘉麻(いべがま)から崇元寺付近(那覇市泊)までの約1kmを結んだ。
■当時の安里川、国場川流域は点在する小島の集まりだったが、長虹堤の建設により、那覇の人口が増え、埋め立てが盛んになった。特に明治以降の埋め立てにより現在の形となった。
■建築担当者は宰相懐機。
■長虹堤完成の後、懐機は神に感謝するため天照大神を祀る神社と長寿寺と呼ばれる寺院を建立した。
■建設当初は「浮道」と呼ばれていたが、冊封使・杜三策の付き人・胡靖が「遠望すれば長虹の如し」と述べたことから「長虹堤」と呼ばれるようになった。
■当時の長虹堤の様子を知る事の出来る資料として、1756年、冊封使・周煌の記録「琉球国志略」に書かれた絵図「中山八景」に「長虹秋霽」として描かれており、後年、この絵図を元にした葛飾北斎の浮世絵「琉球八景」にも描かれている。