尚徳王■琉球国中山王。
■居城は首里城。
■在位:1460年~1469年。
■神号は八幡按司または世高王。
■尚泰久王の三男(側室・宮里阿護母志良礼の子)。
■1460年、父・尚泰久王の死去により妾腹だが長兄・金橋王子を退けて第一尚氏王統・7代目王に即位。
■マラッカとの交易を開始。
■1466年、自ら2000の兵を率いて喜界島へ遠征し領土を拡大。
■足利義政に使節団を派遣。
■朝鮮から方冊蔵経を贈られる。
■天界寺を創建。
■1469年、29歳で薨去。直後に金丸(後の尚円王)がクーデターを起こし、第一尚氏王統一族はことごとく殺害、追放され、第一尚氏王統は滅亡した。
■なお、尚徳王の崩御については、久高島で愛妾にうつつを抜かしているうちにクーデターが起き、漁師から金丸即位を聞き、憤って海に投身したとの説もある。
■第一尚氏王統最後の国王となった。
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尚泰久王■琉球国中山王。
■居城は首里城。
■在位:1453年~1460年。
■神号は那之志与茂伊(なのしよもい)、又は大世主(おほよのぬし)。
■尚巴志の五男であり、前王・尚金福王の弟。
■護佐丸の娘を妃とした。
■当初は越来間切を与えられて越来王子と呼ばれていた。
■第一尚氏王統・4代目王・尚思達王の時、越来王子時代に金丸(後の尚円王)を見出し王府官僚として推薦。
■1449年、兄である尚金福王の死去により王子兄弟による「志魯・布里の乱」が勃発、双方が共倒れになり、第一尚氏王統・6代目王に即位。
■銅銭・永楽通宝を元に大世通宝(たいせつうほう)を作成した。
■1458年頃、「万国津梁の鐘」を鋳造した。
■「護佐丸・阿麻和利の乱」を鎮圧した。
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