尚泰久王■琉球国中山王。
■居城は首里城。
■在位:1453年~1460年。
■神号は那之志与茂伊(なのしよもい)、又は大世主(おほよのぬし)。
■尚巴志の五男であり、前王・尚金福王の弟。
■護佐丸の娘を妃とした。
■当初は越来間切を与えられて越来王子と呼ばれていた。
■第一尚氏王統・4代目王・尚思達王の時、越来王子時代に金丸(後の尚円王)を見出し王府官僚として推薦。
■1449年、兄である尚金福王の死去により王子兄弟による「志魯・布里の乱」が勃発、双方が共倒れになり、第一尚氏王統・6代目王に即位。
■銅銭・永楽通宝を元に大世通宝(たいせつうほう)を作成した。
■1458年頃、「万国津梁の鐘」を鋳造した。
■「護佐丸・阿麻和利の乱」を鎮圧した。
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尚質王■琉球王国・第二尚氏王統・8代目国王・尚豊王の4男で、9代目国王・尚賢王の弟。
■琉球王国・第二尚氏王統・10代目国王。
■琉球国中山王。
■居城は首里城。
■在位:1648年~1668年。
■童名は思徳金(うみとくがね)。
■「中山世鑑」を編集した羽地朝秀を摂政とし数多くの改革を行なった。
■墓陵は首里玉陵。
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