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尚思達王 (しょう したつおう)

第一尚氏王統・4代目王 琉球統一王朝・3代目王
[人物] [国王]
 生没年:1408-1449
■琉球国中山王。
■居城は首里城。
■在位:1444年~1449年。
■在位期間:5年。
■神号は君日(きみてぃだ)。
■1444年、父尚忠王の死去により第一尚氏王統・4代目王に即位。
■尚思達王宝形の後、王位は叔父・尚金福王が継いだ。

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尚泰王

■琉球王国・第二尚氏王統・18代目国王・尚育王の二男。 ■琉球王国・第二尚氏王統・19代目国王であり最後の国王となった。 ■琉球国王。 ■居城は首里城。 ■在位:1848年~1872年。→琉球藩王。 ■童名は思次良金。 ■1848年、4歳で即位。 ■1853年、ペリー来航。 ■1854年、琉米修好条約締結。 ■1855年、琉仏修好条約締結。 ■1859年、琉蘭修好条約締結。 ■1872年、国王退位後、引き続き日本の華族(侯爵)として琉球藩王となる。 ■1879年、琉球処分により琉球藩に沖縄県が設置され、尚泰王は藩王としての地位を失い、琉球藩は消滅した。 ■首里城退去も余儀なくされ、華族として東京に居を移すこととなった。 ■1901年、尚泰は59歳でその生涯を終えた。 ■墓陵は首里玉陵。
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尚円王

■父・尚稷、母・瑞雲。 ■妃・世添大美御前加那志。 ■幼名を思徳金(うみとくがね)といい、以降は金丸(かなまる)と名乗る。 ■1415年、伊是名島、諸見村生まれ。 ■琉球王国・第二尚氏王統・初代国王。 ■琉球国王(琉球国中山王)。 ■居城は首里城。 ■在位:1469年~1476年。 ■神号は金丸按司添末続之王仁子(かなまるあじすえつぎのおうにし)。 ■(1434年)20歳、両親を亡くす。 ■(1438年)24歳、妻と弟を連れ国頭村に移動。 ■(1441年)27歳、首里に移動。越来王子(後の尚泰久王)に見い出されその家臣となる。 ■(1452年)38歳、最高位・黄冠を授かる。 ■(1454年)40歳、尚泰久の即位を機に、西原間切の内間領主に任命される。 ■(1459年)45歳、御物城御鎖側官(貿易長官)に就任。 ■(1460年)46歳、長年寵愛を受けた尚泰久王が薨去。尚徳王即位。 ■(1468年)54歳、尚徳王との関係が上手くいかないまま内間村に隠遁。 ■(1469年)55歳、4月尚徳王が薨去。重臣会議による次期国王推挙を受け尚円として王位に即位した。 ■即位に当たり「尚氏」を名乗った背景として、当時の琉球経済は明との朝貢貿易により成り立っており、王統の継続を装う必要があったからと考えられる。 ■第二尚氏時代に編纂された「中山世譜」「球陽」を見るにあたっても、第一尚氏一党に対する殺戮は行われている事から、王統交代にあたっての粛清が行われたのは間違いないと考えられる。 ■天王寺・龍福寺・崇元寺を建立。 ■朝貢貿易の進貢間隔を二年一貢と制定。 ■墓陵は見上森陵~首里玉陵。
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