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琉球・沖縄の歴史上の偉人や事柄辞典。 title=

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尚貞王 (しょうていおう)

第二尚氏王統・11代目王
[人物] [国王]
 生没年:1645-1709
■琉球王国・第二尚氏王統・10代目国王・尚質王の長男。
■琉球王国・第二尚氏王統・11代目国王。
■琉球国中山王。
■居城は首里城。
■在位:1669年~1709年。
■尚貞王の時代に蔡鐸(蔡温の父)が「中山世譜」を編集した。
■墓陵は首里玉陵

尚貞王 に関連するその他の情報

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>> 程順則
…「琉球の五偉人」の一人。日本中に影響を与えた教育の祖。
>> 中山世譜
…蔡鐸によって編纂された琉球正史。
>> 尚益王
…第二尚氏王統・12代目王
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他の 国王 関連情報 (2件)

尚泰久王

■琉球国中山王。 ■居城は首里城。 ■在位:1453年~1460年。 ■神号は那之志与茂伊(なのしよもい)、又は大世主(おほよのぬし)。 ■尚巴志の五男であり、前王・尚金福王の弟。 ■護佐丸の娘を妃とした。 ■当初は越来間切を与えられて越来王子と呼ばれていた。 ■第一尚氏王統・4代目王・尚思達王の時、越来王子時代に金丸(後の尚円王)を見出し王府官僚として推薦。 ■1449年、兄である尚金福王の死去により王子兄弟による「志魯・布里の乱」が勃発、双方が共倒れになり、第一尚氏王統・6代目王に即位。 ■銅銭・永楽通宝を元に大世通宝(たいせつうほう)を作成した。 ■1458年頃、「万国津梁の鐘」を鋳造した。 ■「護佐丸・阿麻和利の乱」を鎮圧した。
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尚金福王

■琉球国中山王。 ■居城は首里城。 ■在位:1449年~1453年。 ■在位期間:4年。 ■神号は君志(きみし)。 ■尚巴志王の子であり、尚忠王の弟。前王・尚思達王の叔父にあたる。 ■1449年、甥である尚思達王の死去により第一尚氏王統・5代目王に即位。 ■「長虹堤(ちょうこうてい)」の建造…1451年、明からの冊封使を迎え入れるため、浮島と呼ばれる小港・那覇を貿易港として整備し、那覇市松山付近にあった伊辺嘉麻(いべがま)から崇元寺付近(那覇市泊)までの間に「長虹堤(ちょうこうてい)」と呼ばれる約1kmの堤防と橋からなる堤道を建設させ首里との道を繋いだ。 ■当時の安里川、国場川流域は点在する小島の集まりであったが長虹堤の建造により、港・那覇の人口が増加するとともに埋め立てが進んだ。特に明治以降の埋め立てにより現在の形となった。 ■尚金福王の崩御に伴い、息子の志魯と弟の布里が王位を争い「志魯・布里の乱」を引き起こした。
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